松田平田設計のDNA

松田平田設計のDNA

建築史に名を刻む多くの仕事を手がける中で培われてきたDNA。
これらを次なる仕事に継承し続けてきたことこそが、
私たち松田平田設計のヒストリーです。
3つのDNAと、時を経て歴史へと昇華された作品にフォーカスします。

1. 社会資産となる仕事を。
創業者の松田軍平が手がけた作品の多くが、80年以上にも渡って大切にされてきた通り、私たちは「後世に残るものづくり」を大切にします。人に寄り添い、建物の本質を睨むことで、時代に左右されず生き存える上質な社会資産を残していくことは、私たち作り手の責任のひとつです。
2. 人の行動をつくる。
建築設計事務所がデザインするものは建物の姿・形だけではありません。それ以上に大切なのが、人々の行動をデザインすること。建築の力によって人々のライフスタイルやワークスタイルにポジティブな変革を起こし、人々の常識すら刷新する。注目するのは、常に人です。
3. 未知に挑む。
前例がなくてもやってみよう。これが私たちの日常です。創業者の松田軍平が、米国で目にした先進的な技術を、日本の建築に採り入れることで日本の建築史をアップデートしてきたように、未知に挑むことを尊ぶ精神は、創業当時から途切れることなく継承されてきました。

1. 社会資産となる仕事を。

❶ 三井本館1929年
創業者である松田軍平の出発点となった作品。創業前夜にアメリカで設計に携わり、帰国後は現場監理副主任を担当。アメリカで吸収した新たなテクノロジーを存分に投入し、社会資産となる建築をめざした。1998年、国の重要文化財に。
❷ 石橋正二郎邸1931年
ブリヂストンタイヤの創業者である石橋正二郎の邸宅。現在はアメリカ公使邸として使われており、その格式高い造りを留めている。モダニズムの影響が強いファサード、アールデコのデザインを取り入れた室内は、時を超えて愛されてきた。
❸ 石橋徳次郎邸1931年
現・石橋迎賓館。1957年に改築された際にも、建築当時の意匠が多く保持され、現在までモダンな雰囲気が保たれている。スパニッシュ・スタイルの外観、和洋を見事に調和した内装、これらを実現した職人技術を含めて高く評価されている。
❹ 三井高修伊豆別邸1934年
三井家の別邸として建てられた。1971年には須崎御用邸に。松田軍平がニューヨーク時代に勤めていたジョン・ラッセル・ポープ事務所の作品の面影を色濃く感じさせるスパニッシュ様式の邸宅。

2. 人の行動をつくる。

❺ ブリヂストン本社ビル1952年
戦後間もなく建てられたアメリカ式のオフィスビル。アメリカ製の空調設備を一早く導入することで、快適な職場環境を実現。また館内にはブリヂストン美術館を併設。ギャラリーという文化空間とを結びついた先進的なワークプレイスとなった。
❻ 松屋銀座本店1953年、1964年
大正時代から続く、日本を代表する百貨店。戦後を経た全館新装の設計を担当。銀座の一等地という商空間のメッカでの買いものは、庶民には一大イベントだったが、その「ハレの空間」をモダンデザインで華やかに演出した。東京オリンピックの際に行われた大改修も担当。当時の外装の骨格は、現在も使用されている。
❼ 玉川高島屋ショッピングセンター1969年
東京の郊外に建てられた日本初の大型ショッピングセンター。大規模な駐車棟を設けるなど、日本社会に押し寄せていたモータリゼーションの波を受けての設計がなされ、現在も成長を続けている。今日まで続く郊外型ショッピングセンターの先駆けとなった。
➓ 相鉄ジョイナス・横浜高島屋1973年
横浜駅西口の駅ビル「相鉄ビル」と一体化した商業施設。日本の高度経済成長にともない、駅周辺の商業施設が集積度を高めるなかで、増改築を繰り返した。文字通り、街の成長に寄り添いながらともに成長を続けている。
⓬ 東京国際空港ターミナル1964年
1955年に開港した羽田空港の設計を担当したのが松田平田設計。当時はまだ飛行機の発着便数が少なく、シンプルで機能性を重視したターミナルだったが、40年以上に渡り日本の表玄関としての役割を果たしてきた。要人が降り立った映像は、多くの国民の記憶に残っていると思う。 その後も第1ターミナル、第2ターミナル等現在に至るまで羽田の歴史を形づくるプロジェクトに関わっている。

3. 未知に挑む。

❽ ブリヂストンタイヤ久留米工場1933年
国内初のブリヂストンのタイヤ工場。70年以上に渡ってブリヂストングループを支える生産拠点に位置づけられてきた。キャピタル柱を用いた工法で梁をなくし広々とさせることで、長年に渡って利用できる優れたフレキシビリティが確保された。
❾ ニュー新橋ビル1971年
再開発ビルの原点。市街地再開発手法の先駆けとなり、新橋駅周辺のヤミ市を整理する都市計画事業として建設。もともとこのエリアに住み、商売をしていた人たちの生活は保持しながら、街の利便性・安全性を高め、新しい街をつくりだす「再開発」の源流となった。
⓫ 富士銀行中目黒センター1974年
敷地の中央に設けられた中庭は、オフィスワーカーの憩いの場。働きやすいオフィス環境をデザインするという、現代的な感覚を先取りした。近年、建物のエネルギー効率を高める手法として注目される「ダブルスキン工法」も取り入れられている。
⓭ 中山競馬場スタンド(旧)1960年
スタンドの大屋根に柱が設けられることが多かった時代に片持ち梁(キャンティレバー)による大屋根に挑戦。観客の視線を遮ることがなく、観戦に集中できる空間を提供する挑戦はこのころから継続している。
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